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うーん、世の中結局は金なんだけど

 最近、なにかにつけてとみに思うのが、世の中結局は「金」だなぁということ。

 なにをいまさらという意見もあろうが・・・やはりねぇ。

 今日見ていたテレビ番組「ビューティーコロシアム」でも、結局、コストが高いであろう美容術を施せば美しくなれるという典型だと思われたしね、昨日NHKのクローズアップ現代で特集された「セカンドライフ」というウェブ上の仮想世界がクローズアップされるのも結局そこで流通するリンデンドルという仮想通貨が現実の通貨に換金できることからビジネスチャンス・・・すなわち金儲けのチャンスがあるからこそ注目されフィーバーしているわけだし、ライブドア事件・村上ファンド事件は金を追い求めた結果の事件だったし、最近話題のコムスンの介護事業の話題にしても介護というもっともヒューマンな分野で金儲けをしようとしたことへの反発ということが起因しているだろう。

 そうなんだよね・・・単に生きるのも厳しい世の中になってきたところでね・・・金を儲けたものがすべて勝ちというような、直線的な単純な弱肉強食論理が復活してきているように感じるのだ。

 少し前までは・・・まぁ、お金お金言っていると拝金主義として、そう、拝金主義という言葉にやや軽蔑の念が感じられるように・・・あまり好ましく思われていなかったものだが。

 まぁ、私も、そもそも、あまり裕福な生まれではないから、お金にはかなりうるさい。どっちかといえばケチである。そして今、結婚しても、やはり贅沢はできないし、させてもあげられない。

 まぁ、金を得ることそんなに執着がないからだろうか。拝金主義というのがあまり好ましく思えていなかったからね。だから、学生時代学問として学んだものもあまり金にならない分野であるし、職も金儲け主義では選んでいない。そして、結婚も、妻の収入とかなにかとか全然考慮したわけじゃなかったんだよね。

 でもね・・・まぁ、世の中がこんなに金金という感じになってくると、ちょっと複雑な気分だ。要は、私の考え方が甘かったのか・・・と。

 僕はそうは思いたくはないんだよなぁ、実はね。

 妻と映画「ティファニーで朝食を」を見た。金のために金持ち男性を追っかける女性をオードリー・ヘップバーンが演じているが、最後には、金のない貧乏作家であるジョージ・ペパード演じる男に恋に落ちるというハッピーエンドである。この映画には拝金主義の否定がある。

 何十年も前の映画でそういう結論があるではないか。

 経済学という学問は結構興味があるし、人間を分析するツールとして金の面に着目する点はとても面白いのだが、人間は自分にとっての効用関数を極大化する存在だと無条件に仮定してしまっているのが、うーんとうなるところだ。要するに、端的に言えば人間は自分の金儲けに一番有利な道を目指すと仮定してしまっていることだからね。

 人間、そんなに経済的に合理的じゃないと思うんだよなぁ・・・もっと不合理な存在だからこそ、「ティファニーで朝食を」のような映画ができるんじゃないかなぁ。

 そう願いたいものだ。そう、不合理な部分が人間らしいところだと。

 まぁ、貧乏人のはかない願いなのかもしれないが。

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コメント

お金があるってのは良いことなんだけど、ないのもまた良いモノだと思います。
ま、学問ってのは狭い範囲で考えるものなので、経済学は経済学で…と思う。

「幸せな結婚生活に必要なのは、愛情と、少しのお金である」
「衣食足りて礼節を知る」
贅沢ができなくても、暮らして行けるだけのお金があれば、それが幸せなのではないでしょうか。

私的に見れば、ティファニーで朝食を、みたいな映画には、「拝金主義の否定」ではなく、「何がその人に取っての最大の報酬となるか」ということを考えさせられるけどね。

平成不況以降の利益優先主義による社会の歪みが徐々に顕在化してきてるなぁと・・・
お金のためならなんでもアリの荒んだ社会にはしたくないですよね。

 みのさんお久しぶりです。
 コメントありがとうございます。
 そうですねぇ・・・確かに、暮らしていけるだけのお金があればいいのは確かですね♪ただ、その普通が難しい社会かなぁと・・・
 食うか食われるかという厳しさゆえに中間が許されない部分もある気がします。少数の勝者と大多数の敗者・・・老後のことを含めると最近の年金問題も考えるにつけ、暮らしていけるだけのお金を得るのもなかなかに大変かもしれません。
 なるほど、その人にとっての効用を経済的なものにとるか、そうでないものにとるか・・・そのような理解でも「ティファニーで朝食を」を捉えられますよね。効用関数の独立変数を金銭的なものに置くか、そうでないものに置くかという。

 Johnさん、コメントありがとうございます。
 全くその通りですよね・・・その顕在化は見ていて心地よくないものです。
 お金のためにがんばることは否定しませんが、お金を儲けられたことは、持って生まれた資力とか環境とか、自分の努力以外のものもあるかもしれないわけで・・・
 その意味で、お金のためなら何でもあり的な考え方はちょっと・・なぁと思うんです。

少数のお金持ちにあこがれているのでしょうか・・?
私の実感としては、確かに昔よりもお金持ち層は増えたかもしれないけど、やっぱり少数であって、また、お金の無い人たちも確かに増えたけど、これまた少数でレアだという感覚を持ってます。
ほとんど大部分は今までと変わらずで、お金持ちでもないけど貧乏でもない。
昔に比べれば、デフレで生活するだけだとそれほどお金が必要でなくなったのではないでしょうか・・・?

 FIREさん、はじめまして。
 FIREさんの感覚ではそうなんですね・・・
 ただ、感覚として見ても、ホームレスの人が増えたことも肌で感じますし、ネットカフェ難民なども増えてしまっていますし・・・最貧困層もレア=珍しいというほど少なくないと思いますよ。
 「お金持ちでもないけど貧乏でもない」という状態の人が多数派とのイメージをお持ちとのことですが・・・一昔前ならそうかもしれないですが・・・ここまで非正規雇用者の比率が高くなってきた現代、親への依存抜きに、自力でその状態を保つのが困難さを伴う世の中になってきたと思われます。
 端的に言えば、生計は維持できても正社員で酷使されるか、非正規雇用で低賃金で親依存する以外生計を立てられない状況に陥るかという二極化に至っているのが現状ではないかと思います。
 自分の稼ぎで自分の生計を立てることの難しさは、今を生きてきてひしひしと感じているので、デフレで生活するだけなら安くなったという考え方はできません。
 生きていくのに不可欠な医療費などは過去に比べて自己負担率も上がってきているわけですし、デフレで医療費が下がることはないのですから。

確かに決してラクではないのですが、特別にゼイタクをしない限りにおいては、普通に生活できるといえるので、主観的には前述のような感想をもっております。
もちろん、客観的に考えた場合、非正規雇用のロウアーミドル層以下が増えているのは間違いないとは思いますが・・・
それでも、主観的になりますが、自分の周りを見る限りにおいては、全体的にはレアなのだとの感覚です。

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