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結婚へのレディネス

 レディネスとは、まぁ、readynessだから「準備」みたいな意なわけだが、発達心理学などでよく使われる用語だ。

 レディネスとは、教育や学習が効果的に可能になるための発達的基礎、である。

 さて、なんかね・・・ある小説を読みながら・・・そうかぁ、結婚ということにもレディネスが必要であるなぁと感じたわけなんだけどね。

 結婚の場合も、それが可能になるための発達的な基礎がなくてはならない。というのも、結婚するにあたって、いろいろなものを捨てなければならないわけだ。
 「俺の夢」がミュージシャンな若者がいたとして、ミュージシャンで食っていけるのはほんのごく少数だ。だから、結婚して家族を持とうとすれば、自ずとその夢を捨て定職に就かなければならない。その夢を捨てるという諦観があるかなきや・・・その部分が結婚に向けてのレディネスなわけである。
 そう、一種の諦観、その諦観を補い余りある恋の感情、それらがミックスされて結婚への勢いがつくわけである。

 レディネスができてないうちの結婚・・・まぁ、たとえば10代での結婚などに多く見られそうだが・・・離婚につながりやすいのだろう。成田離婚などはレディネスができていないうちの結婚の典型ではないだろうか。

 私の場合なんかは、この一語りを読み続けていただいている方には、ずいぶんなスピードでことが進んでいるなと感じられている方も多いかもしれない。実際そういう反応も多い。

 ただ、私としては、さほどのスピードとは思っていない。というのも33歳になる今までの紆余曲折にてレディネスができていたから。彼女の方もかなりレディネスが高まっていた状態だったようだ。

 レディネスが高いもの同士が知り合えば進展のスピードが速いのは自明である。

 私のレディネスへの遍歴と言えば・・・要するに「俺ってダメくね?」という自問との格闘だった気がする。
 自分がダメだと思っているから、何かで補償しようと、勉強でがんばってみたり・・・一生懸命やせてみたり・・・しかし・・・それらを達成したとしてもなかなか充足できなかった。満ち足りなかった。そんな、あがきの一つが、私のメインホームページである「もてない男の心の語り」(現、もてない男のその後の語り)だったのだろう。

 そんなあがきの末、僕には十分なレディネスがあったのかもしれない。

 そこに、自分にOKを出してくれる彼女が現れた。たった一人のOK・・・それは大きかったわけだ。

 俺ってダメくね?という心境・・実は結構わかっていただけるかもしれない・・・たとえば、寅さんの世界・・・あれだけ日本中に受け入れられている話・・・その真髄は、俺ってダメくね?への自問であると私は解釈している。
 寅さんも、自分がダメな人間だと思って、でも意地張って突っ張って、旅をして、でも妹サクラの前では素直になって、そんなことを延々繰り返しながら、俺ってダメくね?とずーっと繰り返している。そう、あの冒頭流れる主題歌を聴けば、その自問は手に取るようにわかる。
 そんな寅さんは、その自問ゆえに魅力的である。俺ってダメくね?一概にダサイと切り捨ててはいけない、生きるために必要な自問じゃないだろうか。

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